まなびのコンパス
リポート
REPORT

サタデーレクチャー ~早稲田の杜の教養シリーズ~ 「国体論 ― 国体と日本近代」 開催報告

早稲田大学エクステンションセンターでは、注目の研究者や専門家をお招きし、現代社会、歴史、人間、科学などのさまざまなテーマで「サタデーレクチャー ~早稲田の杜の教養シリーズ~」を開講しています。

8月31日の講座では、「1945年以来、われわれはずっと“敗戦”状態にある」というメッセージが強力なインパクトを放つ著書『永続敗戦論――戦後日本の核心』の著者である政治学・社会思想研究者の白井聡氏をお迎えして実施しました。

これまでの歴史を遡りながら、現在日本が置かれた状況について的確に語られた当日のレクチャーの模様を一部抜粋の上、ご紹介します。

京都精華大学専任講師 白井聡氏

1977年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。おもにロシア革命の指導者であるレーニンの政治思想をテーマとした研究を手掛けてきたが、3.11を基点に日本現代史を論じた『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版)を執筆。第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞。そのほかの著書に『未完のレーニン』(講談社)、『「物質」の蜂起をめざして』(作品社)、『「戦後」の墓碑銘』(金曜日)などがある。

 

 

戦後の日本はなぜ無反省・無後悔なのか?

戦後の日本は敗戦・崩壊して民主化し、経済発展を遂げ、GDP世界3位の経済大国となりました。でも、実はそれは表面上のことで、日本の本質が表面化した契機として、3.11を例に挙げる白井氏。

「原発事故後の進行を見たとき、既視感がありました。戦時中の無責任極まる日本の軍部指導者たちの思考様式やふるまいが、現代の役人や東電、政治家などに劣化コピーされたかたちで現れていると思いました。幸い、どうにかおさまったからいいようなものの、一時は東日本全滅の危機すらありました。日本は戦後、あの戦争への反省・後悔を散々してきたはずですが、本当は社会全体としてはできていないのが現状だと思うのです。無責任の体系を克服していないことが、原発が社会の中枢にあることにも表れているのではないでしょうか」

では、なぜ日本は無反省・無後悔なのか?という問いに対し、「負けたと思っていないから」と明確に言及する白井氏。その理由について説明します。

「8月15日は“終戦記念日”とされていますが、実際は“敗戦の日”なのに負けたことがごまかされているのです。戦後、日本は経済復興して大変な復活を遂げたから、むしろ戦争があり、負けてよかったという向きさえあります。こうした敗戦の否認が日本人の意識となってしまったことの本質は、負けてよかったのではなく、負けたことへの意味を考えてこなかったことにあるのです」

国家だけでなく、都合の悪かったことは見なかったことにする心理は、日常でもよくあること。そのわかりやすい例として、ストーカーは否認を打ち消した極限の例だとし、「あんなに大きな戦争に敗れるということは、巨大な意味がある。その意味を知ろうとしないのは病的」とばっさり。確かに納得のいく話です。

日本が負けを認めないスタンスは、これまで外交などさまざまな局面で表れてきたといいます。たとえば、北方領土交渉。

「日本は北方領土の交渉に際し、強硬な外交姿勢で知られるロシアの外務大臣セルゲイ・ラブロフから、『戦争で負けたんだから、それを引き受けるんだよね?そこをはっきりしてくれないと交渉はできない』と再三いわれています。それでも日本の外務省は逡巡を続け、ロシアの言い分に対してちゃんと意思を示してきませんでした」

 

今の日本の「国体」を語る上で外せない、日本の「対米従属」の特殊性

ではなぜ、戦後日本は敗戦の否認をするようになったのでしょう。白井氏は、そこにはアメリカの存在がポイントになると指摘します。

「アメリカは戦後、日本をアジアの中での最重要パートナーと位置づけ、日本はアメリカに頭が上がらない状態になりました。2011年に自民党安倍政権が確立しますが、“敗戦の否認”という情念が物質化して服を着て歩いているのが安倍首相だという認識です。まさかここまで長期化する政権になるとは思っていませんでしたが、一般的に日本人に支持されている状況です」

「敗戦の否認」がベースにある安倍政権が多くの人に指示される状況を読み解くキーワードは「国体」にあり、戦争でノックアウトされた日本がその後、対米従属となったのは、公然の事実だと説明する白井氏。

戦後は東西対立があり、米ソどちらの子分になるかといえば、アメリカの方がマシでした。そこで、多くの国がアメリカに従属し、冷戦が終わった今でも、アメリカの国力が大きいため従属している国が多いのが現状。ただし、日本の対米従属は特殊であり、それは日米外交におけるさまざまなことに表れているといいます。

「日米関係については、とりわけ“トモダチ作戦”や“思いやり予算”のように、奇妙なまでに情緒的でウエットな言い方をされるのが特徴です。ほかにも、アメリカ大統領が来日するたび安倍首相とどこで会食したかといった親密さが報じられます。一方で、どんな交渉があったかということを報じるニュースは少ない。本来、国同士の外交は損得勘定で動くもの。ところが、日米関係は打算的なものではないというイメージをふりまくために使われているきらいがあるのです」

冷徹な利害や打算ではなく、本当の友情、愛情、友愛というイメージが流布され、親密さがアピールされるようになったのは、中曽根政権あたりから始まったと指摘する白井氏。その背景について解説を加えます。

「当時のアメリカのリーダーはレーガン大統領で、ソ連の崩壊が秒読みだった頃のことです。日本とアメリカは親密で、アメリカは日本を愛してくれているという妄想がありました。冷戦中は、これが意味をなしていました。しかし、東西対立が終了し、その構造は消滅。もはや利害関係は共有されていないのに、それがあるように装うアピールが始まったのです。それは、愛の関係ということにすれば従属を否定できるから。アメリカと対等ではないとすれば、支配下にあるのではと思うが、あくまで親米派は友だちだと主張します」

このベースにあるのは、敗戦の否認だという白井氏。日本は戦争に負けたこと、アメリカへの従属を一生懸命否認しているというわけです。

 

「国体」のベースは、国民のアイデンティティを築いた「天皇制」にある

こうした構図は、実は戦前の国体であった「天皇制」に見てとることができると説明する白井氏。

「“国体”自体のニュートラルな意味は、国柄やその国の性質を指しますが、日本の国体は、常に変わらざる中心として天皇がいるという観念が幕末に作られ、国民のアイデンティティを確立しようとしました。国体の大義を広く刷り込み、極端な軍国主義のために用いられたわけです」

日本にはそうしたアイデンティティのベースがあるため、今日になっても日本社会では「権利」が確立していないと白井氏は指摘します。それは、「権利」そのものを理解せずに来たから。天皇制に基づく「家族国家観」のイデオロギーが影響しているからだといいます。

「日本人には、天皇は国民の父であり、国民は天皇の赤子という位置づけで、近代的な社会観や人間観から離れたものを国民に植え付けられた“家族国家観”がベースにあります。列強諸国の中で、一等国になりたいということで、日本の独自性を主張する中で作られました。ところが戦後は、ファシズムの象徴だった国体が民主化へと変革されることになります。日本政府はポツダム宣言を受理するまで、いかに国体が維持できるかを議論したといいます」

戦争が終結し、ポツダム宣言を受理することで軍国主義を捨て、民主化し、日本は国際社会に復帰できました。対外的に国体は変わったとしているが、実際は変わっていないのが現実だと結論づける白井氏。

「実際は、フルモデルチェンジによる再編でしかなく、天皇を象徴する“菊”と“星条旗”の結合が起きたのです。日本人は、天皇陛下ではなくアメリカが日本を愛してくれるというストーリーを信じ、特殊な対米従属体制になっていきました。ただし、当の日本はそれを否定していますが」

 

戦後から続く対米従属、そしていよいよ限界に達した「国体」

白井氏は、戦後の国体は限界に達していると言及します。第一のターニングポイントは、1990年前後の東西対立がなくなり、基本構造がなくなったとき。このときこそ、アメリカの子分からの体制変換が必要だったと指摘する白井氏。

「確かに、第一世代として、時の内閣総理大臣・岸信介や読売新聞の社主らはアメリカに取り入ることで日本での権力基盤を回復することに成功しています。このときは、東西対立の中で国がボロボロになったので、アメリカの力を借りて復活するという合理的な目的がありました。でも、第3世代である現在の安倍政権にはそんな目的意識はなかったはずです。それならば、安倍首相の自己利益なのではという見方もできます」

最後に白井氏は、対米従属が自己目的化することについての危険性と国民が持つべき重要な視点について言及します。

「戦後も戦前の天皇制の下での社会と同じく、アメリカに愛されているという温情主義の妄想の中に生きていると、国民の主権をはじめ、自由を享受したり確立したりするスピリットが育たなくなってしまいます。人は漠然と自分は自由だと思い込んでいますが、あるきっけで実は自由ではなく、主によって拘束されたものに基づくものだったと気づきます。恐れると同時に、主は私に何をさせようとしているのかという欲求が生まれ、そこで初めて人は考えるようになります」

「制約されていない」という考えに留まっているかぎり、人は考えようとしないし、自由への欲求も生まれず、知恵も生まれないことこそが、国民にとってのリスクだと語る白井氏。

「対米従属の特殊性が日本社会を内側から腐らせてきました。戦争の悲惨な記憶をそれなりに支えるために機能してきたが、それが薄れてきたときに、実は自由と知性を否定している状況が表出してきました。しかし、そうした状況が安倍政権を支えてきたという認識です。そういう意味でも、戦後の国体は非常に深刻なのです」

 

* *

「サタデーレクチャー ~早稲田の杜の教養シリーズ~」は、今後もさまざまなゲストお招きし、開催する予定です。また、過去の開催報告をご覧いただくこともできます。今後のスケジュールおよび開催報告については以下をご参照ください。

早稲田大学エクステンションセンター サタデーレクチャー特設ページ

https://www1.ex-waseda.jp/saturday_lectures

<<
前のリポート
次のリポート
>>