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サタデーレクチャー ~早稲田の杜の教養シリーズ~ 「小説を書くということ」 開催報告

早稲田大学エクステンションセンターでは、注目の研究者や専門家をお招きし、現代社会、歴史、人間、科学など、様々なテーマを取り上げる「サタデーレクチャー ~早稲田の杜の教養シリーズ~」を開講しています。

2019年3月9日には、八丁堀校にて「小説を書くということ」と題し、文芸編集者の根本昌夫氏が登壇しました。新人作家育成のプロフェッショナルによる講演の一部を抜粋してご紹介します。

 

文芸編集者 根本昌夫氏

1953年生まれ。法政大学講師、帝京大学講師、明治学院大学講師。早稲田大学在学中より早稲田文学編集室のスタッフとして活動。その後、文芸誌「海燕」、「野性時代」の編集長を歴任。島田雅彦、よしもとばなな、小川洋子、角田光代などを世に送り出し、新人作家の発掘、育成には定評がある。純文学からミステリーなどのエンターテインメント、ノンフィクション作家まで幅広い人脈を持つ。早稲田大学エクステンションセンターオープンカレッジなどでも小説教室の講座を担当し、新人賞を獲得する作家を生み出している。近年では教え子である若竹千佐子氏、石井遊佳氏がともにデビュー作で第158回芥川賞を受賞している。著書に「[実践]小説教室: 伝える、揺さぶる基本メソッド」がある。

 

二度芥川賞候補となった、作家・平岡篤頼の小説へのスタンス

根本氏は冒頭で、小説へのスタンスをわかりやすく示すために、かつて自身が編集者として担当し親交のあった作家の平岡篤頼氏にまつわるエピソードを紹介しました。

文芸評論家や翻訳家として活躍していた平岡氏に、「結婚祝いとして小説を書いてください」とお願いしたのが、当時から敏腕編集者として知られていた根本氏でした。それを機に、平岡氏は福武書店(現・ベネッセコーポレーション)が発行していた文芸誌『海燕』に小説「消えた煙突」を発表し、芥川賞候補となりました。そんな平岡氏について、次のように説明する根本氏。

「作家だけでなく、文芸評論家や翻訳者としても活躍した平岡先生は、バルザックなどの古典文学やフランスの前衛的な文芸、ヌーヴォーロマンにも精通し、クロード・シモンの著作をはじめとする数々の名著の翻訳を手がけました。早稲田大学文学部の教授として教鞭をとったほか、早稲田文学の発行人でもあるなど、多くの肩書きを持つ多才な人ですが、ご本人は実に庶民的で親しみやすい人でした」

芥川賞の選考結果通知の際、発表を待ち受ける平岡氏の自宅には続々と編集者が集まっており、根本氏もその場にいたそうです。やがて「受賞作品該当なし」の報を聞いて、平岡氏もちろんですが、周りにいた担当編集者たちもともに落胆したそうです。根本氏は当時を次のように振り返ります。

「このとき、平岡先生自身は絶対に賞をとれると思っていました。文芸評論家でもある平岡先生は、ほかの候補作もすべて読んで、客観的に自分の作品が選ばれると予測していたのです」

根本氏は、「小説を書くということ」をさらに掘り下げるべく、早稲田大学での平岡氏の最終講義「知る喜び 読む楽しみ 書く快楽〜文学研究の現場〜」の記事を引用しながら、小説を書くこと、読む楽しみについて詳らかにしていきました。その中から、印象的だった部分を紹介します。

平岡氏は、フランス留学時に流行していたヌーヴォーロマンを代表する作家ミシェル・ビュトールの話題作『心変わり』を読んだことが、フランス文学に夢中になるきっかけとなったといいます。アラン・ロブ=クリエの『迷路のなかで』、クロード・シモンの『フランドルへの道』、サロートの『プラネタリウム』といったヌーヴォーロマン派の作品に魅了され、その後、『フランドルへの道』を翻訳した経験が、小説を書くベースを築きました。平岡氏は最終講義で次のように語ったそうです。

「あれ(フランドルへの道)を翻訳した経験があったので、根本君の前例のない提案も受けて立つ気になれたわけです。つまり、小説を書くことが、そんな“書くことの快楽”に満ちているということをすでに経験していたからです。まことに、翻訳という仕事は“知る喜び”と“読む喜び”と“書く快楽”とを同時に味わわせてくれる楽しい仕事と言えるでしょう」

「真剣に文学をやるということは、それ自体恥ずかしいこと」

「吉行淳之介は、『小説を書くということは、銀座の町のなかを裸で逆立ちして歩くくらい恥ずかしいことだ』と言いましたが、それは誇張だとしても、恥ずかしいからと言って済ますくらいなら、文学をやるなと言われても仕方のない面があります」

「スタンダールと出会ったことのほうが、ずっと華麗な大事件だったのですね。俺も彼のように外務省の前で行き倒れてもいいから、墓碑銘に“Visse,scrisee,amo(生きた、書いた、恋した)”、と書けるような一生を送りたいと念願したものでした」

「読まなければ上手には書けない。同時に、書かなければ上手に読めない」

小説を書くということは、自分自身をさらけ出すものであり、恥ずかしいものだと根本氏も説明します。

また、平岡氏には小説を書く以前に、スタンダールやシモン、サロートなどのフランス文学に魅了されるほどの強烈な読書体験がありました。また、文芸評論や翻訳をしながらフランス文学に純粋に向き合い、やがて小説を書く行為につながったことがじわじわと伝わってきました。

 

優れた作品は書き出しの一文がポイント

次に、具体的な作品を例に優れた作品のポイントの一部を紹介しました。根本氏は、「小説の書き出し」について次のように説明します。

「作家たちは書き出しを重要視しており、多くの場合、最初の一文が決まるまで塾考を重ね、何度も書き直しています。実際、冒頭の文が決まらないと先の執筆が進まない、と多くの作家が言っているほどです」

優れた作品の書き出し例として紹介されたのが、青春小説「優しいサヨクのための嬉遊曲」。島田雅彦のデビュー作で、芥川賞候補にもなった作品です。この作品の最初の一文は、

「待ち伏せは四日目に入った。」1

これについて根本氏は、次のように解説します。

「一体何を待っているのか?それまでの3日間は一体何をやっていたのだろう?と思わせ、読者を作品に一気に引き込む優れた書き出しから、この作品は始まります」

また、芥川賞を受賞した荻野アンナの「背負い水」の書き出しは、

「真っ赤な嘘というけれど。嘘に色があるならば、薔薇色の嘘をつきたいと思う。」2

これについて根本氏は、「3人の男と付き合う女性の話で、冒頭の一文にテーマが凝縮されています」と解説しました。

文芸編集者として数々の作家を世に送り出してきた根本氏の講演だけに、当日は、作家志望と思しき受講者も多く見受けられました。質問タイムでは、「二次元小説といった新たなジャンルついてはどのようにお考えですか?」といった、具体的な質問が寄せられ、会場は盛り上がりを見せました。

デジタルコンテンツが増えて、読書離れが叫ばれる今、小説を書くということ、そしてそれ以前に、良書に親しむ意義をあらためて問い直す講義となりました。

1 島田雅彦, 『優しいサヨクのための嬉遊曲』, (新潮社, 1983), 9.

2 荻野アンナ, 『背負い水』, (文藝春秋, 1991), 6.

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「サタデーレクチャー ~早稲田の杜の教養シリーズ~」は、今後もさまざまなゲストお招きし、開催する予定です。また、過去の開催報告をご覧いただくこともできます。今後のスケジュールおよび開催報告については以下をご参照ください。

早稲田大学エクステンションセンター サタデーレクチャー特設ページ

https://www1.ex-waseda.jp/saturday_lectures

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